吉向窯の由来

伊豫(現在の愛媛県)大洲藩出身の戸田治兵衛が京に出て陶作りを学び、文化の初め(1801年頃)大阪十三村に窯を築きました。庭前の老松と生駒山に出る月をめで「十三軒松月」と号し作陶に専念しました。時の将軍家の慶事に際し、鶴と亀の食籠(じきろう・食べ物を盛る器)を献上しました。その折、海亀の食籠が非常に気に入られ、亀甲即ち、吉に向かうに因み「吉向」(きっこう)の窯号を賜りました。当時の作品は、諸大名にもてはやされ藩のお庭焼に貢献しました。

 大阪唯一の窯であった十三の吉向窯は、明治18年(1885年)の淀川大洪水後、中津川改修のため移転しました。その後、高津を経て現在交野市私市と東大阪市布市とに二家があります。東京国立博物館や大阪市立美術館に初代などの作品が大切に収蔵されています。

 神津神社境内の吉向窯は、昭和五十九年の第三回十三文化祭で十三小学校校庭に再現したものを、神津神社に移築したものです。




     吉向焼
     楽焼宝袋香合
   吉向窯で焼いた
   神津神社土鈴(申年)
           

   




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