神津神社の歴史
神津神社は明治42年(1909年)に、旧神津村の小島(こしま)、木川、野中、新在家(しんざいけ)、堀上(ほりがみ)、今里、堀の七ヶ村の氏神を小島村(現在の十三東)の村社八幡神社を中央適当地として合わせてお祭りしたものです。
小島村の八幡神社は、今より四百数十年前の天正年間(1573〜1592年)に祀(まつ)られていたことや、江戸時代に四度の再建がなされたことが、昭和4年の改築に際して現れた棟札(むなふだ−木の札に神名などを記し、建物の安全を願い屋根裏などにお祀りしたもの)より分かっています。しかし、詳しいことは不明で、恐らく水害や戦災(昭和20年3月の空襲により境内建物のほとんどは消失)などにより古い記録等が失われたものと思われます。
神津(かみつ)の名称の由来
神津の名称は、神崎川の「神」と中津川(現在の新淀川)の「津」よりとったもので、北に神崎川、南に中津川の両河川に挟まれた地域に、明治の中頃に神津村(現在の大阪市淀川区にあたる)ができました。
ご祭神
ご祭神(お祭りしている神)は、
応神天皇(おうじんてんのう)
神功皇后(じんぐうこうごう)
底筒男命(そこつつのおのみこと)
中筒男命(なかつつのおのみこと)
表筒男命(うわつつのおのみこと)
宇賀御魂神(うかのみたまのかみ)
菅原道真公(すがわらのみちざねこう)
少彦名神(すくなひこなのかみ)
猿田彦神(さるたひこのかみ)
です。
現在では、合わせて神津神社大神と申し上げ、土地の守護神(まもりがみ)、厄除けの神(災いを除く神)、武神(ぶのかみ−武勇の神)、殖産興業の神(しょくさんこうぎょうのかみ−産業をさかんにする神)、学問の神として崇敬されています。